快か不快か
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生物の根源である、単細胞生物のバクテリア
直接観察したわけではないですが、バクテリアって、
「”死”から逃れようとしているし、食べ物も求めているし、繁殖もしたがっている」
これらの行動を見ると、やっぱりバクテリアも ”生きているんだな” って感じます
”生きるている”って何でしょう?
バクテリアの行動から単純に考えれば、
「”不快”から遠ざかり、”快”へ近づいていく」
っていう法則にしたがって動いているだけなのかなとも思います。
生物って、”死”から逃れるようにプログラムされているように思います。
なにか危険を感じると、”恐怖”という不快を感じる。
怪我をすると(死につながるような)、”痛み”という不快を感じる。
反対に、”生”に向かうようにプログラムされているようにも思います。
食べるとか、排出するとかっていう行為は、一種の快感のようなものを感じているはずだし
繁殖するための生殖行為には、直接的な快感が伴っています。
同じ生物だったら、人類だって
「”不快”から遠ざかり、”快”へ近づいていく」
のでしょうか??
人間って社会的で、複雑だから
時には、一般的な”快”の行為(食べる、排出するとか)が、”不快”になりうることもあるし
一般的な”不快”の行為が、”快”になりうることもある。
例えば、デパートでお買い物中に用を足すってことは人間にとって最悪な出来事
食べる行為はのは気持ちいいけど、太ってしまうとひと目が気になる。
反対に、生きていることが辛すぎて、自ら死を選ぶことだって…
今まで気づいてなかっただけで、人間も単細胞生物と同じようにものすごくシンプルな法則にもとづいて行動している。
なんて、考えてみたりしています。これについては、これから考えを深めて行きたいと思います。