嫉妬について
「この世の中は不公平だ。」
運動の第3法則。作用が生じれば、必ず反作用が生じる。物質があれば、反物質だってある。
これといっしょなのかもしれない。
不幸せな人がいなければ、幸せな人は存在しない。何かを得るためには、何かを失わなければならない。
世の中はきっと、不公平がなければ成り立たない。
そんなこと、当たり前なんだよ。なんて言われても、そんなこと最近までわかっていなかったんです。
成功していないことを、周りの人や環境のせいにする。そういう人が嫌いだ、というのをよく聞きます。ぼくはそうは思いません。
素粒子である、電子は初期条件(どんな方向に、どんな速度で飛んでいるか)とその電子が存在するポテンシャル場(どんな力が働くか)さえ決まっていれば、その電子の未来の運動は決定する。原子だって同じ
たくさんの原子でできてる人間だって同じだと思う。
与えられた初期条件(遺伝子)とポテンシャル場(自分が存在する周りの環境)で、人間の未来だって決定する。
つまり、産まれた時点で自分の未来は決定している。
…なんて、ここまでは言えないかもですが。少なからず、初期条件とポテンシャル場が与えられた時点である程度、人生の歩み方は制限されてしまうと思う。
スラムで産まれた子どもたちは、きっとホワイトカラーにはなれない。学校に行って教育を受けることはできないし
社長の息子に産まれた子どもは、多分社長になる。ちゃんと大学にも行って、留学とかしてるし
ぼくはきっと、優秀な研究者にもデザイナーさんにもなんとかコンサルタントにも起業家にもなれない。
こんなことを言うと、そんなことを嘆いているからダメなんだよなんて言われる。
気づいたら小学3年生くらいの頃から塾に通わせられてました。中学でも塾に通って、がんばって成績を取ってました。いつのまにか獣医になりたいなんて考えが浮かんで進学校の高校を志望していました。いつの間にか獣医になりたいなんて気持ちは消えてしまったけど、どこかの大学へ行くための授業を毎日受けていました。
進学校に行くことも、大学に進学することも、自分で決断してきたことは間違いない。塾だって、自分から行きたいと言って通っていたのかもしれない。
違う家の子にぼくが生まれてたとしたら、同じ決断をするだろうか。いや、そんなことは絶対ありえないはずです。
世の中で活躍している人たち、野球選手とか社長さんとかいろいろ、その人達が、ぼくが産まれたこの家に生まれてきても、その人は同じ道を歩んでいるだろうか。。
神の前ではみな、平等だ。こうとでも言っておかないと、人々は不公平さに不満を持つ。大勢が不満を持つ社会はきっと、安定しないはず。だからみんな、こうやって教えられる。
「世の中は不公平だ。」
はじめからそう教えて欲しかったと思う。 その方が、個人としての人間は幸せになれるんじゃないか。
屋根の下で眠ることが出来る。清潔な水が飲むことが出来る。毎日体を洗える。自分が何を着るか、何を学ぶか、何を食べるか選ぶことができる。
この時代、日本という国、その中でぼくがこの家に生まれてこれたこと自体、幸せすぎること
このブログで考えているようなことを考えていること自体、贅沢すぎる。
それなのに、ぼくは活躍している人たちに嫉妬をする。
人間は愚かですね
そして、こんなことを考えるぼくはただのへこたれかもしれないですが
とりあえずは”無理せず”にポテンシャルの坂道に沿って落ちていきたい。その先が明るい未来でないとわかればちょっと”無理”するかもしれないけど。。。