Taroの日記

考えたことを書いていきます。

ぼくが ”地球の外に世界がある” と知ったのはいつか。

 

小学生の時、図書の時間にはいっつも、「火の鳥」か「ブラック・ジャック」を読んでいました。

ちょっとエッチなシーンとか、気持ち悪いシーンとかに惹かれていた記憶があります。それだけではなくて、小学生ながら二人の愛が引き裂かれるシーンとかに胸を打たれたことを思い出します。けっこう夢中になって読んでいました。周りの友達も同じような感じで、読みたい巻の取り合いだったような。

その当時は奥深さなんて感じていなくて、ただ単純に面白かった。大好きだったポケモンとは違った世界観、それに惹かれていたのかもしれません。なんか、火の鳥がむつかしいセリフを言っているときは読み飛ばしちゃったり。

 

 

今日、ふと部屋の本棚の火の鳥を手に取って読んでみる。6巻の”望郷編”

まさに手塚治虫さんの世界観で、宇宙不動産から安い星が10万円くらいで買える世界。若いカップルがそこに移住して、男の方が死んじゃって、女の方は自分の子どもと子どもをつくるために冷凍睡眠室へ。。みたいなストーリーです。やっぱり人間という生き物は、種を絶やさないことが目的なのか。なんていまは考えたり。

 

そういう深読みもまた違う機会に考えてみたいと思うんですが、今回ふと思ったのはタイトルの「ぼくが ”地球の外に世界がある” と知ったのはいつか。」です。

小学生のころ、例えばこの火の鳥を読んでいて「地球の外!?」みたいな感覚はもちろん覚えていなくて、「未来には宇宙に簡単に行けるようになるんだ〜」って思っていました。つまり、すでに宇宙の存在は知っていたわけです。そもそも、地球が丸いことも、自分は日本という海に浮かんでいる島に住んでいて、海を超えたところにはまた違う島があって、そこには違う国の人が住んでいる。ってことも知っていたと思います。

全然覚えていませんが、多分なにかしらのアニメ(絵本とかも?)を見た時点で、その事実っていうのは当たり前になっていたのかもしれません。

 

地球が平面だと思っていたら、実は球だった!とか、空はドーム状になっていて回転しているだけだと思っていたら、実は外に空間が広がっていた!とか

そういう考えを信じていた人は、どんだけビックラこいたんでしょうかね。物心ついたときから現在の宇宙観を身につけてしまっているぼくたちには、想像もつかないくらいのビックラ度なんでしょう。そういう衝撃を味わえないのは少し残念にも思います。

 

 

なんでこんなこと考えだしたかというと、こういう話が僕の研究テーマにつながるからなんです。自分のやっていることをいかに面白く伝えられるか、今がんばっていることです。

やっぱり、自分が面白いと思うことを面白いと思ってくれる人、そんな人と一緒に過ごして行きたい(働きたい)って思います。

 

 

 

火の鳥 (6) (角川文庫)

火の鳥 (6) (角川文庫)

 

 

こういう風にゆったり考え事をしながら休日を過ごせる様になってうれしいです。もう、ブログが趣味って言ってもいいかなあ