Taroの日記

考えたことを書いていきます。

善悪の定義と宇宙

秘密保護法は認められるべきではない。みのさんは責任を取るべきだ。若者は大企業を目指すべきだ。原発はなくすべきだ。食品偽装は多めに見てあげるべきだ…

 

『〜〜するべきだ。〜〜することには賛成である、反対である。』

 

意見とは、未来への選択だ。

そして、 "良い" 選択をするために、議論がある。それぞれの選択肢の未来を論理で予想し、その中から”良い”ものを選ぶ。ーぼくはどうやって生きているか - Taroの日記

 

少し、自分の言葉で考えてみました。

 

 

"良い"(or "悪い")とはなんなのか。善悪の判断はどのようにして行われるのか。

 

 

ぼくが最近はまっていた”シャンタラム”という小説にこのようなセリフがあります。マフィアのボス、カーデルの善悪の定義と宇宙についての講義。ー結論:ぼくは、物理学に向いていないとわかった。 - Taroの日記

「宇宙は約150億年前にこれ以上ないほど単純な形で誕生し、以来どんどん複雑になっている。単純なものから複雑なものへという動きは、宇宙を織りなす糸に組み込まれていて、”複雑さへ向かう傾向”と呼ばれている。我々は皆その複雑化の産物であり、鳥やミツバチや星や銀河でさえそうだ。最後に到達する究極の複雑さー複雑化が進んだ果てになるものーが神と呼ばれる存在だ。この神へと向かう動きを促したり、押し進めたり、加させたりするのが善であり、止めたり、遅くしたり、妨げたりするのが悪だ。」

 

善が悪かを判断するには、「誰もがそれをしたらどうなるか」を考えればよいという。例えば、誰もが人を殺したらどうなるか?そのことは我々が究極に複雑な存在になることを促すか?といったように。

ちょっと、広大すぎますが…ぼくはすごく納得が行く気がします。神様はいるか知りませんが。

 

 

何かを測るとき(良いことか、悪いことか)には、なにかものさしとなるものが必要で、裁判ではそれは”法律”に相当する。法律って人間が作ったもの。全世界共通なわけでもない、時代によって変化もする。

 

カーデルの善悪を測る基準は、不変的なものである ”物理現象” を用いている。例えば、1960年まで 1メートルの基準とされていたメートル原器。ーメートル原器 - Wikipedia

物質は時間が経つと変化してしまうため、これを長さの基準とすることはやめて、”光が約3億分の1秒に進む距離”が1メートルの基準になった。つまりこれは物理現象による定義。

 

こうやって、不変的でもそうでなくても、物事の良し悪しには、基準が存在する。

 

じゃあ、その基準はどうやってきめられているのか。それが、"良い"(or "悪い")とはなんなのかを決める。

 

 

物事の良し悪しというのは、カーデルの講義にあるように

”何か目指すべきところや理想の姿"があって、どちらの選択をすれば、よりその目標や理想の達成に近づくか

つまり、目標や理想の達成に近づく選択が”良いもの”で、遠ざかる選択が”悪いもの”というように決められると思います。

これが、"良い"(or "悪い")とはなんなのか"の答えだと考えています。

 

 

企業であれば、”利益を得る”という目標が物事の良し悪しを決め

研究であれば、”限られた予算の中で、最大限の結果を出す”という目標が物事の良し悪しを決める。

どちらの企画案の方が、利益がでるか。どちらの機器を購入すれば、結果を出せるか。こうやって決断が行われる。

 

選択、決断には、必ず”なんのため”が存在する。

 

だから、”なんのため” かわからない選択には意味が無い。どこへ向かうか決められていなければ、善悪の基準も作れない。

ぼくもこれから大学院を卒業して、どうやって生きていくかの選択をする。この選択は、なんのためにあるのか正直まだはっきりしない。「幸せになる」これがぼくの目標、だとしても自分にとっての幸せとはなんだかまだわからない。なにがしたいのか、どう生きたいのか。

 

就職活動、まずはここから考えよう。といってもムリだとおもう。多分最初の選択はどうせ失敗するかもしれない。

 

とりあえず、気楽に行こうかな。

 

 

 

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シャンタラム〈下〉 (新潮文庫)

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シャンタラム〈中〉 (新潮文庫)

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