「で、結論は」
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ある実験をして、データを取り、解析し、グラフにする。
誇らしげに、教授にそのグラフを見せても怒られます。
「で、結論は?」
まだ、実験や解析の技術が乏しいぼくにとって、最後の”グラフにする”で達成感を感じてしまいます。
そこまでの過程もなかなか大変なので、最後にグラフにすること自体が目的になってしまっていたんだと思います。
今までの学生実験では、”指針通りに実験を遂行する”ということが目的でした。卒業研究はそうじゃないんですよね。
その実験によりわかったことを結論として出さないと、意味が無い。
実験は、”何かを決めるため”に行われないといけないと実感しました。
実験でデータ(情報)を集めグラフを出すまでは、インプット
そのグラフからある結論をだすことが、アウトプット
インプットすること自体が目的になってしまいがちです。
アウトプットへ向けてのインプットなのに、たくさんインプットしてもアウトプットが何もない。
人生は選択の連続、どこの学校へ進学するか、インターネットで何をクリックするか、どっちのお弁当を選ぶか、もう3分寝るか今起きるか
人間は、”現在”から何かを知覚して、”過去”の経験の記憶も踏まえて思考し、”未来”に行動を起こす。
行動を起こすというのは、選択するということ
「選択するために、知覚して思考する。」
インプットは、何かを決めるため、選択するためのもの
ダラダラと授業を聞いたり、インターネットをぼーと眺めたり、本をパラパラと読んだり
いつもそんな感じでしたが
これからは、授業も本もインターネットも、なんのためのインプットか意識したいと思います。
死ぬまでそんなに時間もないから、無駄な時間はなるべく過ごさないように