Taroの日記

考えたことを書いていきます。

ぼくはどうやって生きているか

ぼく(人間)は、どうやって生きているか

 

自分が"どうやって"生きているか、最近ずっとそのことを考えていました。

ある粒子、たとえば電子が、ある環境中で"どうやって"運動しているのかを説明できるようになりたい気持ちと同じ感じです。ある電場を与えると、こうやって運動の方向が変わったり、ある粒子と相互作用(ぶつけ)させると、こうやって運動や状態が変化する。

自分が生きるということを説明、というか理解したかった。それが理由です。

 

 

人間が生きている空間・時間のなかでも、時間は(過去・現在・未来)に分けることができます。

 

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この流れの中で、人間はこうやって生きていると考えました。

過去で知覚し、今で思考(未来を予測)し、選択する。

結局、人間は過去から未来にむかって、”選択”しているのだと思います。

 

その選択は、どこの企業に就職するとか誰と結婚するとか、そんな大きなことではなくて、

朝起きる、歯を磨く、電車に乗る、音楽を聞く、googleで検索する、お弁当を買う、ハンバーグをさいごに残す、友達とおしゃべりをする、風呂にはいる、寝る。なんて、日常生活の選択よりもさらにもっと細かいこと、

目(どこを見るか)や口(なにをしゃべるか)や足(どこへ移動するか)とか、自分の体をどう動かすか。もっと細かくいうと、自分の体の原子たちをどの座標にどのような速度で持っていくか。 ぼくはそれを選択しているんだと思う。

 

選択の仕方、は人によってそれぞれちがう。でも、向かうべき方向は人間として同じなのかもしれない。

過去に知覚してきたものから、未来を予測し向かうべき方向へ行くための選択肢を挙げ、そして選択をする。

ぼく(人間)はそうやって生きているんじゃないかと思う。

 

 

 

なんてことを考えていたら、こんな動画を見つけました。ぼくの考えていることなんて脳科学者の足元にも及ばないかもしれません。

 

 

右脳にとっては“現在”がすべてです “この場所 この瞬間”がすべてです 右脳は 映像で考え 自分の体の動きから 運動感覚で学びます 情報は エネルギーの形をとって すべての感覚システムから 同時に一気に流れ込み この現在の瞬間が どのように見え どのように臭い どういう味がし どんな感触がし どう聞こえるかが 巨大なコラージュになって現れるのです 右脳の意識を通して見ると 私という存在は 自分を取り巻くすべてのエネルギーとつながった存在なのです 右脳の意識を通して見た私たちという存在は 1つの家族として互いにつながっている エネルギー的存在です 今 この場所 この瞬間 私たちはこの地球上で 共に世界をより良くしようとしている兄弟姉妹です この瞬間に 私たちは完璧であり 完全あり 美しいのです

 

私たちの左脳はまったく異なった存在です 私たちの左脳は直線的 系統的に考えます 左脳にとっては 過去と未来がすべてです 左脳は 現在の瞬間を表す 巨大なコラージュから 詳細を拾い出し その詳細の中から さらに 詳細についての詳細を拾い出すようにできています そして それらを分類し 全ての情報を整理し これまで覚えてきた 過去の全てと結びつけて 将来の全ての可能性へと 投影します そして左脳は 言語で考えます 継続的な脳のしゃべり声が 内面の世界と外の世界とを つないでいます その小さな声が 私に囁きます“帰る途中で―” “バナナを買うのを忘れないで” “明日の朝いるから”

(一部抜粋)