すごいってなんだろう
最近、「お、自分なかなかやるじゃん。すごいじゃん。」
と思うことがあるのですが、(自分の考え方や、いろいろな能力について、例えばコミュニケーション能力とか論理的思考法とかいろいろ)
ちょっとネットとかを見回してみると、年下とかなのに僕より優れた人なんて五万といて
さらに、身近な人も実は自分が思っていたよりも全然出来ちゃっていたりして
「お、自分なかなかやるじゃん。すごいじゃん。」
なんて思っても、自分なんて全然すごくなかったんですよ。
とにかく、今まで自らを”過大評価”していた自分に凹むことが多いです。
こういう自分が嫌で、”なんで”こんなことが起きるかを考えてみました。
そもそも、「すごい」って思うって何なんでしょう。
スイカの種を50m飛ばせる人がいたら、みんな”すごい”って思うはずです。普通の人は飛ばせて10m??
けどもし、人類の口の形がスイカの種を飛ばしやすいように鉄砲魚のような形で、
人類みんなが50mなんて楽勝に飛ばせる世の中だったら
スイカの種を50m飛ばせる人は、”すごく”なくなっちゃうはずです。
こんな変なふざけた話じゃなくても、
日本でクラスメートが英語がペラペラに喋れたら、”すごい”って思うけど
アメリカでクラスメートが英語を喋れても、もちろん”すごく”ないんです。
”すごい”とか”優れている”とか、何かを評価する時って、必ず比較対象が存在するんですね。
「すごい」っていう言葉は、実は
「他のみんなができていないことをできるあなたは、”すごい”ね」
っていう意味が隠れていたんですね。
だから、
「周りのみんなが出来ていないことができた!やった!おれってすごい!」
と思っても、少し目を凝らして周りを見てみると実はそんなこと平気でできちゃっていたりする。それに気がついていなかっただけなんですね。
それで、
「自分なんて全然すごくないじゃん…」って凹んでしまっているんだと思います。きっと
確かに、周りと比べたら自分なんて全然すごくないんです。それはよくわかりました。
それなのに、なぜ、自分のことを”すごい”なんて思ってしまうんでしょうか。。。
凹んでしまう原因は、
「周りと比べて全然すごくなんかないのに、自分のことをすごいと思ってしまうこと」
にあります。
考えました。なんで自分のことすごいなんて思ってしまっていたんでしょう…
それは、比べていたのが”過去の自分”だったからです。
”すごい”っていうものは、”なにか比べる対象”が存在して成り立つもので
”自分のことすごい”って思っていたのは、”周り”と比べていたのではなくて”過去の自分”とくらべていたんですね。
ぼくは、元がダメなヤツなので、多分成長の度合いもなかなか大きいのか
”過去の自分と比べたら、今の自分ってすごいんですよ”
でも
”周りのみんなと比べたら、自分って全然すごくないんですよ”
タテに比べるか、ヨコに比べるか、っていうのはこのことだったんですね。
自分が、すごいと思ったときには
”タテ”で比べているか、”ヨコ”で比べているか
をちゃんと自覚してれば、凹むようなこともないのかな。
タテで比べて、すごいと思えるなら成長している証だから、凹む必要なんてない!!
と結論付けて元気が出ましたが、
結局、人材市場で生き残るには”ヨコ”で比べないと意味がないんですよね。
厳しい世の中だ。。